中央競馬専門紙
w e b 楡馬
本紙/青汁注射
先日、奇妙な話を聞きました。 アメリカのバンドでQueenっていますね。彼らの曲で「Seven Seas of Rhye」 というのがあります。邦題は「輝ける七つの海」です。 ここで気になるのが「七つの海」。七つの海が何かというと、西ノ海(初 代)・西ノ海(二代)・西ノ海(三代)・安藝ノ海・栃ノ海・玉の海・北勝海のことだそうです。日本の大相撲に感銘を受けたQueenのメンバーが七人の横綱を賞賛する曲を作った、と。 …ハイ、ウソですよ。そんなわけありませんね〜。でもホントだったら面白い んですがねー。このくだらない話をしてくれた知人はよほどヒマだったのでしょうなぁ。 そういえば、楡馬メンバーの西ノ海さんはなぜそういうお名前なんでしょうねぇ? 気になる方はウチのブログのコメント欄に質問すると西ノ海さんが答えてくれるかも知れませんよ。 さて、宝塚記念。せっかく海の話をしたので、予想は「海の向こうでレース経験がある馬」を中心に選んでみました。宝塚記念は国際GTですから(といっても外国馬は10年前に1頭来ただけ。しかもその馬主は日本人で、乗ったのも上村)。 チョボパン
「チョボパン」と聞いて意味がおわかりの方はおられるか。チョボパンとは女子高生らの間で使われる、いわゆるギャル語らしい。知らない方には相当つらい用語である。少し考えてみてほしい。甘いパン?見せてもよいパンツ?フジテレ ビの新しいアナウンサー、チョボ山ボベ子?なんだろうか。 チョボパンとは「超膀胱がパンパン」の略語で、かなりオシッコがしたい、という意味で使うらしい。ばかじゃねえの。以前私が書いたKOS(かなりオシッコしたい)と同じか。どうせ言い出しっぺは、女子高生向けの雑誌で寺山修司に憧れて作家を目指すも食うために三文記事書いてるヒゲ面の中年オヤジだろうよ。いま流行りの言葉で言うと「チョベリバ」だ。 これならなんでもありだな。チョゴカビ(超ご飯がカビてる=さすがに白飯も10日目はきつい)、チョチョボコ(超長曽我部がボコボコ=四国制覇も時すでに遅く秀吉に降伏)などでもよさそうだ。まあ結論を申せば、好きにやってくれや。 で、今週はへんてこファンファーレの宝塚記念。メンバーはかなりそろった感があり、予想も難解であろうか。 ポイントは51キロで出走する今年のダービー馬ウォッカの取捨であろう。前走はあまりにすごかったが、今回はその反動が心配。かつ、古馬初挑戦であり、ここで勝つようであれば世界的・歴史的に名牝であろう。ここで好勝負なら凱旋門賞も好成績が期待できる。で、結論としてはワイド軸として据える(馬柱では「ワ」)。安定感は抜群、かつ、51キロで3着までなら十分あり得る。 本命はメイショウサムソン。前走の天皇賞は圧巻。ハナ差勝利やあっさり負けた昨年の秋競馬が評価を下げているかもしれないが、4角先頭で他馬をねじ伏せて欲しい。対抗はなく、3番手はダイワメジャー。昨年の有馬記念のように勝ちに行くと思うので詰めが甘くなるかと思う。アドマイヤムーンの調教がすさまじくよく見えたが、騎手は上手であるが初騎乗で割引、かつ同枠の武豊が邪魔をすると思われるので△まで。馬場が渋ればシャドウゲイト、トウカイトリックも押さえたい。 (鎌倉重明)
編集後記
右の記事で書いたとおり、僕はワープロしか使ったことがない上に、携帯も社会人2年目まで買わなかった超アナログ野郎です。そんな僕の発案でこの『web楡馬』の編集が持ち回りになったのですが…。html慣れしていない僕にはかなりしんどかったです。 そういえば高知の倉兼育康が3か月ほどソウル競馬場で乗ることになったとのこと。韓国にはラッキールーラや鞍ズレプレストウコウなどが輸出されていましたが、どうやら最近になって馬産に力を入れ始めたようですね。海外遠征といえばもう一人、昔の高崎の主力で、現在浦和で頑張っている水野貴史は、1か月オーストラリアに遠征だそうです。倉兼は最近乗れるようになり、水野は元々実力者。さらにパワーアップして地方の闘魂を広めていってほしいものですね。 |
第48回
何で毎年メンバーのレベルがこんなに違うのかな?
宝塚記念
第48回 宝塚記念(GT) 6月24日 阪神競馬場 芝2200m
楡馬編集今昔
まずは皆様にお詫びをしなければなりません。 今回は初めて僕が編集をやったのですが、僕の不手際でアップするのが遅くなってしまいました。土曜日の昼間に宝塚の記事を期待して楡馬のページをご覧になった皆様には改めて西ノ海からお詫び申し上げます。 あまり湿っぽいお詫びの文章を延々と書かれても皆さんあまりいい気分はしないと思いますので、いつも通り冗長な記事を書いていきます。お時間のある方はどうかお付き合いください。 で、今週は何を書くかというと、自分自身のメモ代わりの意味も込めて、僕が学生時代(94〜98年)にやっていた「楡馬」の作り方を残しておこうと思っています。 まず道具ですが、僕は自分のボロワープロでした。web楡馬のレギュラーである鎌倉さん、青汁さん、独帝さんは、みんな編集の経験がありますが、確かパソコンを使っていたのではないでしょうか。みんなが「記事はメールで…」なんて会話をしていたのを聞いた記憶がありますが、本当に何のことだかさっぱりわかっていませんでした。 何せ今と違ってメールで一発、というわけにはいきません。ほとんど手作業です。最初は火曜の昼休みに集まります、編集者は印を回収し、記事執筆者から原稿をもらいます。火曜日にもらえない人については、メールなんてないので、手渡しでもらうか、家の電話を使って直接言うしかありませんでした。もちろん自宅生組には時間制限があります。ですから印が満足に集らない、ということも何度かありました。その時は楡馬には入っていない競馬に詳しい友人に泣きついて、印をもらったりしてました。 その後は金曜日までに編集です。まずは競馬ブックの出走表を86%に縮小してコピーし、馬柱のベースを作ります。そして来ない人については記事と印を催促。その後は集めた印を名前とずれないように並べていきます。たまに間違えるんだよな、これが。あと手ごわいのは見出し作り。結構時間がかかります。今でもそうですが、ここでヒットを打つのは皆さんの想像以上に難しいです。この1行だけに3時間以上かけたこともあります。 続いて記事の配置。とりあえずワープロで打ってみて、何センチになるか測り、B4の楡馬用台紙の上に並べます。全て記事が揃えば、残った分が僕の記事スペースになるので、それに合わせて記事を書きます。 どうにかこうにか完成すれば、あとはコピーして配るだけ。94〜96年の頃は120枚〜150枚、有馬で200枚くらい配っていたと記憶しています。コピーは1枚8円。今いくらなのかな。金曜日の昼休みに大人数で集合し、できたての楡馬を持って学食へ。当時は普通のサークルから、胡散臭い宗教から、公安にマークされてそうなやばそうな連中まで、ビラが配り放題で、机の上はゴミだらけだったのですが、楡馬は少なくともそんな紙よりは価値のあるものと認められていたらしく、固定客もいて、結構配り応えはありました。熱心に読んでくれると素直に嬉しかったです。最後に、翌週の発行がある場合は、記事担当者を決めて解散、と言う感じでした。ここまで書いても何か忘れている気がするんだよなぁ。何せ初めて編集したのはネーハイシーザーが勝った94年の天皇賞だからなあ。 そうそう、予想ねぇ…。メイショウサムソンには頑張ってほしいねぇ。でもウオッカの51キロというのは楽ですね。あとは印の通りで。 (西ノ海嘉治郎)
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