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「条件次第で道営競馬全廃」という北海道の方針について…

地方競馬の廃止の話が出ては常々思ってきたことだが、主催自治体はなぜ短絡的な決断しかできないのか。特に北海道の場合は他の地方競馬とは事情が違うことを考慮に入れているのか疑問だ。

ばんえいの廃止騒動のときに思ったことだが、あのとき道は他人事のように知らん顔をしていた。しかし、ばんえいは「北海道遺産」に指定されていた。「北海道遺産」は確か堀知事(当時)の肝入りで始まったもの。ならば、道がばんえいを北海道遺産に指定したも同然。「道民の文化財産」ならば道が守るべきではなかったか。北海道新幹線なんぞに回す金があったらばんえいに回せば良かった。北海道新幹線は北海道の遺産でも何でもないし、仮に恩恵があってもそれは道の一部の地域であることを考えれば「道民すべての財産」とは呼べないのだから。

道営も同じこと。
道営はJRAのためにあるわけではないが、道営が無くなればJRAにも影響が出るのは必至。巡り巡って道内の馬産にも影響が出る。上記の「北海道遺産」は、ばんえい単独ではなく日高の馬産も含めて「北海道の馬文化」を指定している。ならば道営競馬はなんとしても守らねばならない。他の遺産は守って、馬文化は守らないとしたら、道は信用を失う。道内全体に寄与するとも思えない北海道新幹線とかサミット誘致なんぞをやってる場合ではない。馬産は道内の産業であり観光資源でもある。道は自分で自分の首を絞めることになるのが理解できないのか。1951年に田中知事(当時)は「道の重要産業である軽種馬振興には地元競馬は必要」と説明している。

仮に廃止となると、ほとんどの競馬関係者が路頭に迷う。これまでに廃止された競馬場の関係者の受け皿となった道営なのだから、それを受け入れてくれる地方競馬など期待できない。それでも人間はまだいい。競走馬は厳しい。一部は他の地方競馬場に移籍できたり乗馬になったりするだろうが、全ては無理だ。残りはもう殺すしかない。動物とはいえ、相当数の生命を殺すことになる。その権利はいったい誰にあるのか? 責任をもって自身の手で1頭1頭殺すだけの覚悟が、高橋知事にあるだろうか? 官僚出身の女性知事にそれだけの覚悟は無いだろう。

そもそも、高橋知事はやるべきことをやった上で廃止と言っているだろうか? 件の田中知事は、道営が最初に迎えた存廃論の際、札幌競馬場を道営で使えるよう、農林大臣に直談判して了承を取り付けて黒字転換させた。現在道営が札幌競馬場で開催できるのはこの知事のおかげだ。高橋知事はそういった行動をしたか? 道営の売上向上に最も効果的とこれまでに何度も言われてきた「札幌競馬場でのナイター開催」実現に向けてJRAに直談判するなど、できることは色々とあるはず。そういった努力も見せずに「ハイ、廃止」で多くの競走馬の生命を奪うなど倫理的に許されるものではない。


政治において、「壊すことは容易いが、作り上げることは難しい」ということはよく知られた話だ。競馬という文化を道内から無くすことは簡単だが、それによって失うものの大きさ、それに代わるものを作り上げることの困難さを、道はよく天秤にかけるべきではないか。

「競馬は税金を投入してでも保護すべき文化か」という問題はあろうが、ならば、世間はその問題をよく直視してきただろうか? 所詮ギャンブルだからと言って、直視することから逃げてはいないか。問題提起すらせずにただ「廃止」と言っていないか。中津競馬場以降の地方競馬廃止の際にいつもそれがまっとうに議論されてこなかったが、少なくとも、馬文化が「北海道遺産」と指定されている北海道なら、この問題が議論されるべきだ。それも、ばんえいの時のような、競馬をよく知りもしない「識者」による議論ではなく、全道を挙げての議論だ。道内のマスコミも一方的に廃止論を叫ぶのではなく、こういった論議を道内に浸透させるようにすべきで、存廃に関する道内全体の総意を作り上げてもらいたい。


自分たちの遺産を守れないほど、財政だけでなく人心も逼迫し、知恵も努力も出しつくしたのか。「試される大地」は、まさに試されている。
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